遠くから、氷川きよしの歌声が聞こえてくる。
何かの音頭のような気がする。
どこかで盆踊りでもやっているのだろうか。
そういえば、今日は8月22日。
関西でいう、地蔵盆である。
昨年も書いたと思うが、今から54年前の地蔵盆の頃、私が生まれた。
1950年、朝鮮戦争ぼっ発の年である。
生まれた時から、朝鮮半島は分断され、今も続いている。
朝鮮統一の声は、五輪でにぎわうアテネの空にも広がっているのだろうが、それが私が生きている間に実現するかは何ともいえない。
自分が生まれた時の事情は、もちろん私は知らない。
だが、子供の頃から親とか親戚とかは、誕生日を迎える毎にその時のエピソードを繰り返す。
予定日よりも1か月も遅かった。
母が、近くの盆踊りを見に行って、家に帰ったら途端に陣痛が始まった。
当時は産院で子供を産む時代ではなかった。
産婆さんが家にやってきて、そこで子供をとりあげる。
お湯を早く沸かして!という命令で、手をこまねくだけの男を動かしていた時代でもある。
凄い難産だったと言う。
1か月も多く胎内にいたのだから当たり前なのかもしれない。
夜の1時すぎ、必死になって医者を呼びにいく父親。
このままでは、死んでしまう、何とかしてくれ!という気持ちだったのだと今も繰り返す。
死にかけた母。
全然痛くも苦しくもなく、ああ、死ぬということはこういうことなのかと思ったそうだ。
そして、今年の私の誕生日にも、またその話が繰り返される。
あのときは、ああだった、こうだった。
だが、正直、私はその頃の話をあまり聞きたくない。
私のせいで死にかけたといわれても、今さらどうしていいのかわからない。
苦しかった時の思い出は、何にもまして懐かしいという。
しかし、私には思い出も何もない。
懐かしいよりも、ただ鬱陶しいだけだ。
盆踊りの頃、地蔵盆の明かりを見ながら、過ぎし方を見遣る。
54年前の世界は、もう靄の向こうにかすかに見えるだけ。
静かな夏の夜、かすかに秋の虫の声が聞こえる。
年をとると、月日の経つのが速いなどと言うが、私はこういったブログを毎日書いたり、自分のデータベースを整理したり、新しい事業に毎年取り組んだりしているせいか、年ほどは速く感じない、結局自分の脳を休ませ過ぎてはいけないということなのだろう、安部邦雄