今日は日曜日ですが、おかげさまで懸案が片づき、考える時間ができたので軽く更新してみます。
幻冬舎というと「永遠の仔」や田口ランディ「コンセント」などのベストセラーを輩出している出版社だが、ここの見城社長がこんなことを言っている。
「僕らは人様の精神を商品にするという、いかがわしい仕事をしている。この仕事にはそういう嫌な面がある。」(佐野眞一「だれが本を殺すのか」プレジデント社刊より)
人間の心を商品にすることを、見城氏はいかがわしい仕事と言い切っている。
出版社とは、そういう人の心を弄ぶことにより経営が成り立っているということなのだろう。
ただ、それをいかがわしいというと、芸能界なんかもっといかがわしい存在だと思う。
タレントにしても歌手にしても、その外見と中身を含めて商品にしている。
芸術とか、真理なんかそんなものは建て前だけである。
思わず金と交換に手に入れたくなるように人間を加工する、それが芸能界とか、私の住んでいる社会なのである。
私にも、タレントになりたい、歌手になりたい、俳優になりたいと言ってくる人は大勢いる。
私はその人をしばらく見たり、話したり、挙げ句に触ってみたりして、その人が商品として通用するかどうかを値踏みする。
その人がどんないい人でも、どれだけ美形であっても、商品として売れそうになければ相手にしない。
だから、ここでは人といえど、物と扱いは一緒になる。
ある意味、人間の倫理もへったくれもない。
金に替わればいいのである。
その人の希望は一応聞いてあげるが、商品にならなければ捨てるだけである。
ま、こういう商売をいかがわしいというのならそうだろう。
というか、商売とか商人とかいうのは、本来いかがわしいものなのである。
ジョルジュ・ムスタキの「商人」という歌にこういう歌詞がある。
森や湖が広がる地に、あらゆる果物が自由に実を実らせていた。
商人たちが、この地にやってくるまでは。
人は肥えた土地を耕し、お互いに助け合ってゆったりと生きていた。
商人たちが、この地にやってくるまでは。
商人たちは、すべてを商品化し、それを貨幣に換えることを人々に教え込む。
本来貨幣に代えてはいけないものまで、こうすれば金に換えられますよと教え込んだ。
そして、人々の心も、生活も変わる。
コロンブスに発見されるまでの、幸せなアメリカ大陸はこうして資本主義全盛の大陸に変わって行ったというわけだ。
自分のやっていること、いかがわしい仕事といえば確かにそうだ。
そんないかがわしい仕事につきたいと願う、若者たちの何たる多さよ。
ただこれだけは言える。
今さら、私達は後ろには戻れない。
すべてを商品化し、売買しないと生きていけない時代を少しでも変えるためにはどうしたらいいか。
それを前向きに考える努力だけは忘れてはならない。
ヤクザな世界と言われている業界は、どこもいかがわしい側面が多いということなのだろう、放送業界なんかも十分いかがわしい存在ではる、安部邦雄