豊岡の洪水。
中越地震の被災者。
奇跡的に助かった幼児、力つきて亡くなった母。
イラクで人質になった日本の青年。
毎日、死んでいる人は何人いると思う?
日本の人口は1億2千万だから、その1%が死ぬとして毎日120万人というところか。
死に方は色々だが、殆どの人はあまり人に知られることもなく死んで行く。
ほんの一握りの人だけが、その死に方がセンセーショナルだと言う理由で話題に上るのだ。
新潟で亡くなった人もそう、母親に餓死させられた子供もそう。
そして、下手したら首を切られるかもしれないイラクの若者もそうだ。
みんな何かの理由で死んでいるのだ。
一人がどれだけ理不尽な理由で殺されても、それがどうしたと言うのだろう。
トム・クルーズの「コラテラル」でも、そんな台詞が使われていた。
所詮、人は死ぬものなのである。
どれだけ悲劇的な死であっても、それは万民が受ける死という事実と本質的には何も変わらない。
にもかかわらず、何故目に見えるそれだけを、痛ましいと思ってしまうのだろうか。
子供が助かれば、よかった、これは奇跡だ、なんて思ってしまうのだろうか。
そんな死に方は自分はしたくない、心の深いところで本能的な衝動が複雑な心理を作るのかもしれない。
だが、そんな理屈はしばらく横に置こう。
すべての人が幸せになりますように。
すべての人の心に太陽がほほえみますように。
祈る。
私は前を向いて必死で歩いている、だがその歩みが本質に向かうほど、その足を引っ張る力が増大する、今はそんな感じ、鈍重なことだ、安部邦雄