今日午前、長い間親しんできた我が愛車、フェスティバ君とお別れをしてきた。
「じゃお預かりします。」
ずっと、車検等でお世話になってきた方に事務的にそう言われ、しばらく放心しておりました。
フェスティバ君にとっては、17年目の秋だった。
昭和62年に生まれ、それから17年間、自分ではひとつも故障をおこさなかった孝行な車だった。
バッテリー事故は何回かあった。
おかげで、他の車にお願いしてバッテリーを充電させてもらったり、交換したりすることのスキルは上がった。
接触事故は、何回かあったが保険を使ったのは一回だけ。
それも、かすったか、かすってないか微妙なものなのだが、相手がゴテゴテいうので、好きにしろと言ったことがあったくらい。
可哀想な事故を起こしたのは、私がある人に車を貸したから。
本来なら、信用できないので絶対その人には貸さないのだが、別の人間が借りたのを最終的に彼が運転し、事故を起こしたのだ。
早い話、後続車におカマをほられたのである。
本人も、むち打ちで病院に入院。
車は横浜の警察が保管することになり、私に連絡があったのだ。
何でお前が乗っているのだ!本当に頭に来たが、入院している人間にあまり強くは言えない。
後方不注意というか、女とスキーに行っての帰りで、気を抜いていたのであろう。
横浜の警察まで、電車に乗って車をとりに行き、その足で病院に見舞いに行った。
加害者と示談したら、車の破損費払えよと強く言ったのだが、それ以来ばっくれやがった。
哀れ、私のフェスティバ君は傷物になり、その後修理されることもなく、向こう傷のフェスティバのあだ名で一生を過ごしたのであった。
あの野郎、どこ行きやがったんだあ。
もう二度とあのフェスティバに会うことはないだろう。
とても、よくしてくれたフェスティバ君、さようなら。
君のことは一生忘れないよ。
別れたばかりなので、寂しいのはまだまだこれからだろう、今日家に帰っても駐車場に君はいない、二度と帰ってこない、ああ無常、安部邦雄