年頭で、放送界は衰退期に入っているのではと書いたが、1年間終わり、その感がますますしている。
放送は、もはやすべてではなく一部にすぎないという言い方もできるかもしれない。
ますます自分の生きる場所が狭くなる。
今から覚悟しておかないといけないかな。
ということで、今年を軽く振り返ってみたい。
ペンギンノートにもなるべく書き込みをしようと思ったのだが、余裕は昨年以上になかったような気がする。
大阪の会社「ネットワークス851」に相当時間をとられた。
仕事の依頼も確かに増えたし(儲からないものが多いが)、自分の問題意識も昨年以上にはっきりした。
それに反比例して、東京の仕事に思い入れがなくなってきた。
来年はもっと大阪の仕事に力を入れる可能性が大きい。
これも私の運命なのかもしれない。
12月24日、実家の近くに新たに地下鉄の駅が設置された。
今里筋線「清水駅」である。
昨日、東京から戻るときに初めて利用した。
殺風景な地下鉄である。
なんばの事務所へ行くのには、今里で千日前線乗り換え。
湊町もあまり繁華な場所ともいえず、これで田舎から田舎へ通うことになる(比喩的に言えば)。
やはり、人のいないところばかりを通ると自分の中の緊張感が落ちるのがわかる。
たまには淀屋橋経由御堂筋線利用も使わないとぼけそうだ。
今年の思い出というと、やはり戎橋筋商店街の「エビス一番祭り」が印象的。
加橋かつみさん、真木ひでとさん、青春時代のスターはさすがに輝いていた。
いい仕事ができたと満足している。
それと、内田裕也さんの存在感の凄さを堪能させられた。
また、イベントに出てもらえたらと思う、ただし、後5年ぐらい先で。
フィリピンの歌手、リンダコラソンさんとの付き合い、作曲家富田梓仁先生との出会いも特筆に価する。
これも、ナンバ一番で水谷ひろしさんと色々つきあえたからだろう。
昭和プロの遠山会長が亡くなられたことは、その点では甚だ残念だった。
私のやっていることを又見てもらいたかったと思う。
他にも、今年は私の中では大変ぶあつい形で記憶が重なった年だったと思う。
自分が今何をやっているのか、冷静に分析できるような状況ではない。
来年は、もっと色々な場面に出会うことだろう。
昨年の今ごろ、まだ五里霧中だったことを思えば、はるかに先が見える年になりそうだ。
健康に留意しながら、このまま走っていきたい。
皆さん、どうぞよいお年を。
来年こそ、人並みの暮らしをするぞ、安部邦雄