人生は一場(いちじょう)の芝居だという。
ただし人生は芝居と決定的に違うところがある。
芝居は、他人が舞台を作ってくれる。
だが、なまの人生は、自分で自分に合った舞台をコツコツと作り、その上で芝居をするのだ。
他人が舞台を作ってくれることはほとんどないと心得よ。
なかなかの達見だ。
もちろん、私のオリジナルではない。
昨日も書いた「竜馬がゆく」の一節である。
竜馬というのは、さしずめ名プロデューサーだったのだろう。
プロデューサーは、一からコツコツと舞台を作るのが仕事だ。
そして、その舞台の上に役者を上げ、思う存分自己表現に専念してもらう。
うまくはまれば、心から嬉しい。
だが、世の中、そんなに簡単に最高のものなどできはしない。
試行錯誤の繰り返し、イライラは募り、毎日はただの苦しみの重なりになる。
いつか、すべてが大団円を迎える。
今の苦労は、そのためのステップ、あるいは一里塚。
未来の栄光のために、今の辛酸を耐える。
それが人生、それが私がプロデューサーであることの証。
今日の仕事は辛かった、明日の仕事、今日よりも更に嫌な一日になることは見えている。
だが、それが人生、それが人間の甲斐性だ。
死して後、やむ。
そう思わないとやっていられない。
燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや、なんてフレーズを思い出した、私が鳳がどうかはわからんが、安部邦雄