固い話が続く。
バブルについて、この頃はマスコミの論調がだいたい一致して来たようだ。
実体のないものに一部の連中が投資し、どんどん値段を吊り上げた。
それがバブルになり、政府の方針でそれではいけないとバブルつぶしに入った。
それが行き過ぎて、今のような経済情勢になった。
これからはバブル後遺症の不良債権を早く整理し、構造改革を大胆に行って、景気を回復させよう、というところか。
その間、色んな人が色んなことを言っている。
住専の元経営者は、バブルをつぶしたのは政府だ。おれたちは被害者だと言っている。
そごうの水島氏もそんなことを言っていた。
私は被害者なのだと。
何をぬかす、さんざん甘い汁を吸いくさって、ちゃんと責任とらんかい!
そんな非難の声も聞こえて来そうだ。
私も、この人たちの被害者意識は間違っていると思う。
判断を間違えたのは貴方だ。
経営者としての責任から逃れられるはずはない。
ただ、確かに不公平な面もある。同じようなことをしていても、全く責任を問われない人も一杯いる。
何故私だけが、という気持ちは理解する。
ただ、御愁傷様と言うしかないが。
さて、先ほどの総括めいたものに対する疑問だ。
バブルの時にどうして誰もバブルだと言わなかったのか、ということ。
これが当然であり、今後もこの基調は変わらないと何故思ったのかということだ。
土地は右肩上がりに、どこまでも上がって行く。
株価も同じように、上がって行く。
若干の上下はあったとしても、日本のファンダメンタルズを考えれば、当分上昇局面は続くのだと、何故思ったのか?
そんなのはみんなバブルの幻想だったのだなどと、したり顔で言うのはやめよう。
考えたら、ずっと上がるはず等なかったと今さら言うのもやめよう。
土地や建物の担保率が高過ぎたのは常軌を逸している等と言うのもやめよう。
そんなのは、みんな結果論だ。
何故、その時に生きていた人々がみんな、バブルを当然だと思い、それを前提に生活設計をしていたのか?
長くなりそうなので、結論から書く。
バブルだとは思えなかったと言うことだ。
バブルなんて言葉は知らなかっただろう。ビッグバンなんて言葉も知らなかっただろうし、グローバルスタンダードなんて言葉も流布はされてはいなかった。
それでも、誰も思わなかった。
こんなに土地の値段が上がったり、株が上がったりしても、それ自体が悪い等とは誰も思わなかったのだ。
どうしてか?
この後には、インフレが訪れるという漠然とした予感があったのではないだろうか?
1973年、第一次オイルショックで、日本に特大のインフレの波が押し寄せた。
私が会社の入社試験を受けたのがこの年。
その時の初任給が説明では60,000円だった。
そして、74年入社。
その年にはベースアップがあり、78,000円になった。
30%アップである。今から考えればべらぼうなアップ率だ。
それからは、毎年2桁の賃上げ率。
第二次オイルショックもあり、しばらくインフレ状況がずっと続いていった。
それでも、若干の耐乏生活があったものの(電気を消すとか、テレビが深夜放送をやめるとか)、人々から不安の声はそれほど聞こえなかった。
物の値段は上がったが、給料も同じように増え、失業率も決して高くなかった。
そう、人々は、バブルの時、インフレ慣れをしていたのだ。
物が上がるのは仕方がない。給料がそれに伴って増えればよいのだと。
土地や、株が上がって、庶民から高根の花とか言われていても、そのうち給与が上がり、いつか、この不動産の上昇に追いつく。
国は金を貸してくれるし、しばらくは利子も軽減されている。
心配すること等ない、今までもそうだったのだ。気にすること等なにもないのだと。
もうおわかりだろう。
多少の値段の上昇はアロウワンスの範囲内だと皆思ったのである。
次に来るインフレですべてチャラになる、きっとそう信じていたのだ。
人々にはインフレは当たり前だったのだ。
デフレなんて信じられない、それがバブルの渦中の人々のまぎれもない意識だったと言える。
だから、こんなことを言い出す人がいる。
バブルを潰すべきではなかったのだ。ほっておけばインフレになり、不良債権も発生せず、皆はハッピーだったはずだ。
国が悪い。何故、バブルを潰した。総量規制が悪い。あそこで不動産投資の金の蛇口を閉めたのが悪い。
バブルのどこが悪いというのだ!実にけしからん。
私の答え。
あほか、ほっといてもバブルなんか潰れとるわ。
鎖国時代じゃあるまいし、一国経済主義なんか今の時代に通用するか!
今回の話も長くなりそうだ。もう少し緻密な議論をしないといけないのだが時間がない。
この続きは又明日、と言いたいところだが明日から出張なのでそんな余裕があるかどうか。
ま、期待しないで待っていて下さい。
私もバブルで泣かされた一人、安部邦雄