アメリカ映画を見ていて、いつも気になること。
誰かと誰かが殴り合いを始める。
まわりは殴り合いができるだけの場所を確保するかのように後ろへ下がり、様子をじっと見つめ続ける。
どっちかが勝つまでやる。
誰も止めない。
たまたまその拳が、関係ない第三者にあたると、頭に来たこの人物も何故か参戦。
後は、とばっちりを受けた連中が巻き込まれるように争いの中へ。大混乱。
誰かが勝ち誇るまで続く。
誰もとめない。
日本人には、ちょっとよくわからないこの光景。
誰かが勝つまでやめないというのもメジャーリーグでは当たり前のようだ。
引き分け等ありえない。とりあえずここまでといって途中でとめたりもしない。
精神構造は同じなのだろう。
日本の野球もセリーグでこれと同じようなルールに変えようとしたが、結局日本人の感性に合わなかったかして一年でやめてしまった。
しかたがないので、勝ち数優先に変えたのが今年。
それも、どうやら一年限り。
某球団のゴリ押し体質にも困ったものだ。
しかしアメリカ人は何故とめないのだろうか?
殴り合っても意味がないからやめろ!と何故言わないのだろうか?
貴族社会の決闘の論理というのはまだわからないわけでもないのだが、(何しろ、日本でも果たし合いという伝統的な決闘スタイルがあった)どうも、単なるプライドを賭けただけの殴り合いなんて不毛なだけのような気がするのだ。
昨日の巨人の清原対阪神ハンセルの戦いなんて、アメリカならもうちょっと見せてくれたかもしれない。
「いけー!キヨー!アメ公一発いてもたれー!岸和田の根性みせたらんかい!」
東京ドーム、大騒ぎ。
審判はしかたなしに止めるかもしれないが、選手まで止めることなかろうに。
乱闘を見るのだって娯楽のひとつではと思うのだが、子供の教育に悪いとか言って禁止されそう。
やっぱり日本では、文化的に否定されているわけですね。
子供の教育問題まで持ち出すくらいですから。
話がそれてしまった。
つまり、日本人は大体こういう喧嘩の場面での対応の仕方が苦手な人が多いようだ。
唯一できることは、可能な限り止めることしかない。
喧嘩の場面に立ち会った時の最低しないといけない作法というのが身についていない。
たいていの人はとまどうだけで、どうしていいのかわからない。
知らん顔するか、ただ目立たないように見ているしか他にとり得るべき態度を知らない。
そう、それが日本の文化の現状なのだ。少なくとも2001年の現代においては。
だから今回の同時テロ事件が起こって、やられたアメリカが核兵器使ってもぶっ殺すなんていきり立つのを見ても、どう対処していいのか咄嗟にはわからないのだ。
1億2千万人のとまどい。
それが、今の日本をおおう気分といえるだろう。
そりゃ、イライラして、「日本も積極的に参加して、一発大砲ぶちかましたれ1」なんて好戦的な奴もいる。
ついでに、近くのテロ国家にもデモンストレーションしたれ!なんて叫びそうな奴もいる。
しかし、例えば目の前の駅で行われた喧嘩沙汰に何もできない日本人に、こんなとんでもない状況で、一体何ができると思う?
今、すぐ目の前の事態から何とかせんとあかんのちゃう?
訓練されたテロリスト集団に誰が立ち向かえるの?自衛隊にやってもらうの?
ほんだら、あんたはそれを傍観者的に見てるだけか?
その前に目の前の喧嘩が起きた時に、逃げるのやめえや。
君子危うきに近寄らずみたいなことすんのやめえや。
いいかげん、何か考えないとあかんのちゃう。
こんなん、自衛隊が戦争に行くとか、後方支援するとかいうだけの問題ちゃうんちゃう?
何かちゃうねんな、何やろこの違和感。ほんま鬱陶しいなあ。
ややこしなると、大阪弁多用の安部邦雄、何故なんだろうな?