平和ですねえ。
犬を連れて散歩する人の姿を一杯見ました。
珍しい犬ばかり。
コリーみたいな顔をした子犬が尻尾を水平におっ立てて歩いているので思わず笑ってしまった。
平和でない場所は日本にもあります。
三宅島。しばらく人は住めそうにありません。
犬と散歩していた日々はもう遠いでしょうでねえ。
こちらは天災ですから、諦めもつくかもしれない。
あちらは人災ですからね。
全ては神の思し召し、アラーの意志と言われれば納得する人もあるんだろうか?
日本にも先の世(前世)の決めごと、なんて言う表現がある。
家に災禍が訪れた時、先の世の決めごとと思って受け入れるしかないと納得するらしい。
運命には逆らえない、という表現も。
因果応報、会者定離、諸行無常、仏教用語には、こういった諦めるしかないと民衆に思わせる言葉がたくさんあるようだ。
色即是空、空即是色なんてのもある。
クレイジーキャッツの「学生節」の一節にも使われていた。
今の人には、般若心経の主要コンセプトと言った方が、理解されるかも。
「学生節」の一節はこう。
色即是空、あみだくじ、空即是色、あほだら教、あんたの息子を信じなさい、ほりゃ信じなさい、ほりゃ信じなさい?
こんな気楽なことを言って、今の状況を語るのは不謹慎かもしれないなあ。
あんまり深く考えると碌なことにならないよ、というぐらいのつもりなのだが。
小人閑居して不善を為す、とも言う。
だから小人は忙しくさせておけというわけではない。
平和だったら、結局こういった不善が起きてしまうということだ。
これも世のことわり。
人間である限り、しかたがないんだろうなあ。
さて、今日は彼岸の中日。
昔は、天王寺さん(四天王寺)に行く途中で、経木を書いてもらってお参りしたものだ。
今も戒名書きのオッサンはずらっと並んでいるのだろうか?
のぞきからくりもやっていたし、亀の池でのんびりひなたぼっこしている無数の亀も名物だった。
平和な光景だった。
仏がこの世を救うように、アラーは人々を救わないのだろうか?
夕陽が丘に立ちて、明日の平和を祈る、彼岸でありたい。
仏の慈悲を信じていると言えば笑われるかも、安部邦雄