テロ事件は小休止のようだ。
今、何が起きているのか本当のところはよくわからない。
日本が何かキナ臭い動きをし始めているようだが、これもよくわからない。
日本は、だいたいお上のしていることを、民に知らしめるのを嫌っているようだ。
後で責任を問われたくないのかもしれない。
大体、挙足取りみたいな言論が多すぎるのだ。
相手から失言を引き出し、それをきっかけに相手の人格攻撃が始まる。
論点がいつのまにかすり変わっている。
そして、問題を提起した人間を沈黙させて終わりにする。
官僚が亀みたいになってしまうのはわからないでもない。
とにかく、なるだけ論争に加わらず、適当に問題をはぐらかしておくのが一番ベストな処世術なのだ。
日本人はうやむやがお好き。
村の秩序を守る為には、黒白を一々つけない方がいいと思っている。
確かに、その後のことを考えたら、それが一番かもと私も思わないではない。
日本の議論のしかたをグローバル・スタンダードに合わせないと、世界では通用しないという声も多い。
その為にどうすればよいのか、ううん、よくわからん。
「朝まで生テレビ」という番組がある。
各界の論客がスタジオに集まり、長時間あるテーマについて延々と論議する。
東京では注目度がとても高いようだ。
大阪ではどうなんだろう?
大阪人としての私の感想、ただ一言、こんなことしていて、あんたら面白いんか?
面白いんだろうな。
東京人はこういう論議好きそうだ。
新橋のガード下の焼き鳥屋でサラリーマンが政治の話をしているのも東京らしいなあと思う。
不真面目な話なら、大阪でもする。
田中真紀子の乳がでかいとか、小泉が茶髪にしたらどんなやろ、とか。
しかし、東京ではマジに政局を語り合ったり、経済問題を論議していたりする。
偉いなあ、と感心した。
大阪人にはできないことだ。酒飲んで話すことじゃないなあと、東京に来た頃は心底思った。
東京生活13年、今では何の違和感もなく、私が焼き鳥屋で喋っている。
こういうのを東京ナイズというのだろうか。
「うわ!東京クサッ!」と又大阪人に罵倒されそう。
東京に来た頃、銀座(FM大阪)から半蔵門(FM東京)に車で向かう時、真正面に国会議事堂が見えるところがある。
夕暮れ時、議事堂がライトアップされて、威圧するかのように迫って来るのに素直に感動したことがある。
ああ、これが権力の象徴なのだ、と。
権力とは何て厳かなものだろう!日本人のすべての権力欲がここに集積しているのだ。
そのエネルギーに私はしばし圧倒されていた。
慣れてしまった今は、単なる一つの風景になってしまっているが、東京人の心のどこかには常に議事堂があるのではと思ったりもする。
だから、酒飲み話に政治の話が出て来る。
違うかな?
今日も夕暮れ時、富士のシルエットがとてもきれいだった。
東京人の心の中にはきっと富士の姿もあるに違いない。
だから、東京の銭湯へ行くと、必ず富士の書き割りが湯舟の向こうにある。
これも違うかな?
大阪出てから十余年、今じゃ立派な東京人。
ちゃって、ちゃっての連続で、使ったちゃってが五万回。
さば読むな?この野郎?
昨日に続いてクレイジーキャッツ第二弾、ただし出来悪い、安部邦雄