加藤登紀子の曲名。
大阪への私の今の気持ちを代わりに歌ってくれているような気がします。
でも、知らない人の方が多いかもね。
歌の一部を引用。
呼んでも答えぬ 人波にもまれて
まいごの子犬は ひとりでないた
帰りたい帰れない 帰りたい帰れない
東京にいるとこんな気分になるんですよ。
ひとりもので、根無し草のような生活をしているからそうなんだよ、と言われそうだけど。
大阪に戻っても都会の中の孤独は同じなんだろうなあ。
でも、心の中の大阪人は歌います。
帰りたい帰れない 帰りたい帰れない
大阪の芸能プロダクションで懇意にしているマネージャーが時々思いついたように私にメッセージを送って来ます。
東京なんかにいてもしかたないやろ。
大阪、戻っといでよ。
ひとりの大阪人としては、確かに、東京にいても仕方がないと思っているのですが、心の中に育ちはじめた東京人がそろそろ主張しはじめています。
戻って何があるんだい?
こいつは言葉まで江戸っ子。松茸をマツタケとちゃんと発音します。
頭きちゃって、とか、冗談じゃねえよ等と恥ずかし気もなく東京言葉を使います。
本当に恥ずかしい、私の中の東京人。
詩の世界の繊細な心の揺らぎからは離れてしまうのですが、私の中の大阪人と東京人が、この歌を聞きながら、ああ、ホントだねえ、などと納得しあっております。
今のところの合意点。
帰れるようになったら、大阪へ帰ろう。でも、その時はもっと先のことだろうね。
加藤登紀子さんには、今も心に響く歌がたくさんあります。
ひとりで寝る時にゃよー ひざ小僧が寒かろう
オナゴを抱くように 暖めておやりよ
「ひとり寝の子守唄」
ああ、人は昔々 鳥だったのかもしれないね
こんなにも こんなにも 空が恋しい
「この空を飛べたら」
私の子孫が、いつのまにか東京に定着するようになり、何百年もたって、ある時、その中のひとりが、テレビから流れてくる今は死滅した大阪弁を聞く。
え?と思う彼?
アホか!ちゃうやろ!いっぺんどついたろか!あかんがな!この泥亀ー!
色んな言葉がびんびん心に響き、思わず口から出て来た大阪弁。
ええかげんにしなさい!
戸惑う周囲。そう、その時代には、すでに突っ込みの言葉も死滅していたのだ。
ただ、東京弁の進化した無味乾燥な標準語が英語と同化しつつ存在していただけだった。
ボケもなければツッコミもない。
ああ、人は昔々 ツッコンでいたのかもしれないね
こんなにも こんなにも ボケが恋しい
春になの花 夏には祭り
秋の三日月 木枯らしの冬に
帰りたい帰れない 帰りたい帰れない
秋の夜のかそけき 心のつまびきでした。
たまにはこういうのも許してね、安部邦雄