先日、ある人の誕生日だった。
バースデーカードを送ってあげたら、結局祝ってくれたのは私だけだったとメールで書いてきた。
亭主も子供もいるのに、何でそんなことを言うんだろう?
みんな貴方を祝福しているはず、口には出さなくとも、ね。
私だって、毎年形には誰もしてくれないけれど、誕生日を意識してくれる人は何人かはいる。
それでイイと思う。
誕生日なんて、いいこともあれば悪いこともあるものの一つで、第一年をとって嬉しいなんて、ある年令になると誰も思わなくなるはずだから。
誕生日はいくつになっても大切な日。
何故なら、それは自分が世に出た記念すべき日だから。
その日を祝わないで、どの日を祝おうと言うのか。
後は、自分の死ぬ日ぐらいかな。
でも、その時は自分では意識出来ないのだから、言っても始まらない。
今年も後わずかですねえ。
別に、人生なんか一本の紐だと思えば、今の時点なんて単なる過程にすぎないのだけど、人間はそれだけでは生きて行けないのか、勝手にこの点が私の誕生日で、これがある年の正月で、これがある年の大晦日・・・・。
不思議な習性ですね。
他の動物は誰もこんなこと考えないのに。
後、1ヶ月足らずでキリストの誕生日。
本来、日本では仏様の誕生日(花祭り)とか八百万の神の誕生日(そりゃ、いつだ?)とかを盛大に祭らないとおかしいはずなのだが、何故かキリスト一辺倒の誕生日祝い。
クリスマスって、結局日本人にとって何なのだろうかね。
あ、八百万の神の方の誕生日は1月1日でいいかも。
その日から、すべてが又新しく始まるわけだから、きっと元旦こそ、我々祖先の神の誕生日なんだ。
だから、クリスマスより正月の方が祝いの度は上だ。
そう、きっとそう。
だから、皆普段は行かない神社に晴れ着でお参りするわけだ。
ということで、誕生日を迎えられた皆様おめでとう。
今日は少し慌ただしい、安部邦雄