ある人から、メールをいただきました。
「今年のクリスマスは誰と過ごしますか?」
誰と過ごすというような状態ではないと思います。
きっと、ある場所でオッサンばかり集まって打ち合わせしていることでしょう。
来年度の事業計画を立てる為の会議です。
私には今は、仕事しか考えられません。色気より食い気といいますか。
ある雑誌に、クリスマスを誰と過ごすかが、今の若者の大きな課題になりつつあると書いてありました。
クリスマスがキリストのミサであることなど、この際何の関係もありません。
クリスマスと呼ばれる日に誰といるかが、その人間のプライオリティを決めるのだということのようです。
日本の若者というのは基本的には平等です。
でも、人は動物である以上、生存をかけた競争という摂理から逃れることはできません。
若者が恋をするのは、自分の遺伝子を未来に伝えようとする本能と関係があります。
相手が優秀な遺伝子を持っていると思えば、恋は果てしなく燃え上がります。
美人or美男子、頭脳優秀、運動神経抜群、力持ち、器用、金持ち、リーダーシップ、ちょっと落ちるが働き者、etc.
基本的には平等のはずの若者が、こういった価値基準の中で、自分のプライオリティを上げようと努力しています。
クリスマスに誰と過ごすか?それだけで、この遺伝子争いは佳境に入ります。
私は、じゃあ誰と?
残念ながら、私はもうオッサンです。
遺伝子争いからは一歩引いた、プライオリティの低い雄にすぎません。
今さら、誰と一緒にいたからといってねえ、あなた。
「何だ、負け犬なんですね。」
悪かったな!青二才!
ま、ことほど左様に、私達は偉そうなことを宣いながらも、こういう生存をかけた争いをしているというわけなんでしょうねえ。
でも、本当に日本の今の若者は大変ですねえ。
他にこれといった争いのタネもないのかして、専らこの恋愛戦争がメインのようです。
いい大学に行っても、いい会社に入っても、それがどうした?という時代になってしまいましたからね。
親はまだ過去の価値観を引きずっているので、相変わらずいい学校に入れる為にはどうするか?に血道を上げているようですが。
つまりこういうことですね。
プライオリティを上げることが、私達の目的なわけです。
それが、どういう分野でかは、生きている時代、生きている環境によって違ってきます。
同質の集団の中で、自分のプライオリティを少しでもあげる、それによって自分の社会に占める位置が変わる。
いい位置を占めれば生きるのは楽になる。
悪い位置しか得られないようでは、人生はただ損なだけになる。
だから、人はプライオリティを上げることに必死になる。
いい大学、いい会社、いい環境、いい地位。
クリスマスに誰と過ごすかだって、後の自分の場所と関係してくるかもしれないのです。
そりゃ、若者達は必死になるはずです。
私?
だから、そういうわけで、今さら自分の位置なんて、個人的にはどうでもいいのです。
今さら同質の連中とプライオリティを争いたくなんてないのです。
争う相手は、今は自分しかありません。
だから、私はクリスマスは私と一緒にいるのです。
「私は、ひとりではない。何故なら孤独と言う友だちが一緒にいるから------ジョルジュ・ムスタキ」
クリスマスだけじゃなく、誰かといることはとても大事なことです、でもねえ、安部邦雄