あなたは学校で何を学びましたか?
それは、今の貴方に役に立っていますか?
学校で学んだこと等ほとんどない。
役になんて全然立っていない。
そんな答えを聞くと、私はとても寂しくなります。
小学校から大学まで、その教育期間は最低でも16年間です。
その16年の間に学校から学んだことが何の役にも立っていないとしたら、それは膨大な時間の損失です。
いったい、そんな無駄なものの為に、国や地方の費用がどれだけ使われていることでしょう。
これを誰も反省しないのでしょうか?
高速道路を作るのも、ダムを作るのも、わけのわからない農地を干拓するのも、みんな同じ発想なのでしょうか。
教育は、単に学校を作ったり、教師を大量に雇ったり、そういった経済効果さえあれば良いとするのでしょうか?
学校で何を習ったのか?
それを誰もが、次の時代に受け継ぎ、その知識で次代の生産が飛躍的に拡大するのでなければ、教育は何の意味も持たないのではないでしょうか。
ま、教育に対する不満は色々あります。
私の大学での専攻は教育学(実際は教育心理学)でしたから、教育に対してはちょっとうるさいですよ、私。
さて、教育の話は別の機会にするとして、今回は私が学校で学んだことを少し話してみます。
小学校で学んだ最大のものは、九九ですね。
あれは日本人の発明なのでしょうねえ。
「平安時代に確立されて、宮廷内の秘術とされていた」等と書いている資料もあります。
これがわからなければ、後に学んだ珠算ができなかったわけですから、学んで正解なわけですね。
中学校では、私は「詩」を学びました。
国語の先生が、私の書いた詩を御自分の判断で大阪市の文集に掲載されたぐらいですから、そこそこ「らしい」詩が書けていたのでしょう。
ただし、この文集、私は一度も見たことがありません。
高校に進学した時、ある友人が「君の詩、のってたね。僕も作文が載っているんだよ。」と言われて初めて気がついたんです。
一度、見せてよと友人にお願いしたのですが、結局見せてくれませんでした。
おかげで今もどの詩が掲載されたのか正確には知りません。(大体は推測できるのですが。)
詩は、高校進学後、萩原朔太郎とランボー、ヴェルレーヌなどのお蔭で、ますますのめり込んで行ったのですが、結局この年になるまで詩集を一冊発行しただけで終わりました。
今さら、詩人になるつもりもありませんし。
高校は、やはり哲学ですね。
もちろん、マルクス・エンゲルスは不可欠ですが、最初はカントから入ったような。
二年の時に「倫理社会」の授業があり、担当の先生に大変可愛がられました。
私はサッカー部だったということは前にも書きましたが、その練習のお蔭か、家へ帰るといつもバタンキュー。
それゆえ、平日は全く勉強しない。もちろん、成績なんかいつも後ろの方でした。
でも、この倫理社会だけは、何故かトップクラスの成績でした。
先生の贔屓があったのでしょうなあ。
大学へ入ると、これは本当に色々学びました。
挫折も学びましたし、病的な自分も再認識させていただきました。
「曰く、不可解」の世界にビタビタに浸らせてもらいました。
この話を続けて行くと、またまた話が長くなりそうです。
大学で学んだことは又明日と言うことで、今日はこのへんでオイトマケの唄。(そりゃ、ヨイトマケの唄じゃ)
学ぶことは精一杯生きるための基本だと心から思う、安部邦雄