実はインターネット時代はまだ始まったばかりなのです。
何かインターネットはもう当たり前なんて言う人もいそうですが、そんなことはありません。
何なら、答えてみて下さい。
あなたの茶の間にインターネットの端末はありますか?(あるけど使っていないというのはダメですよ)
たいていあるのは自分の部屋ではないでしょうか?
インターネットの端末はパーソナルなものだと思われるかもしれませんが、もっとパブリックな使い道もあると思いませんか?
電話なんかそうですね。
茶の間にもあるでしょう?
インターネットは電話なんかお手のものです。
にもかかわらず、インターネットで電話する人等、ごくごく少数ではありませんか?
ファックスはあっても、インターネットはない。
インターネット時代には、すべて一つの端末でOKなのです。
テレビもそうですね。
CATVの普及が凄いので、パソコンとテレビの垣根がだいぶ低くなってきたようですが、でもブロードバンドの時代になるのなら、テレビにインターネットが繋がっていてもいいでしょう?
わざわざCATVとつなぐ必要なんかないはずですね。
テレビ局の番組をそのままインターネットで再送信すればよいのです。
東京のキー局3局が、インターネットで番組を流す会社を作ったと言うニュースが流れていましたが、それはきっとこういう時代を見据えているからでしょう。
CATVはいいけどインターネットはダメ。
コンテンツホルダー(著作権者)はそういう言い方をして、インターネットで自分達のコンテンツを流すのを許可しません。
インターネットで流すと自分達の権利が保証されないからというのです。
どうなんでしょう。
CATVは流してもかまわない、というのも変じゃないですか。
インターネットがCATVと同じような質のものになるなら、許可しないなんてのは変ですよね。
何を言いたいのかって?
つまり、今はまだインターネット時代じゃないんです。
安土・桃山時代の段階で、江戸時代にまではなっていないということですかね。(『利家とまつ』の二人の生活が、ほとんど農民のそれと変わらないのと同じかな)
インターネット時代は、こんなものではありません。
今、あちこちで作られているビジネスモデルなど、まだまだ過去の残滓を引きずっています。
後世では、ひょっとしたらこの時代を「インターネット時代」と呼ぶかもしれません。
教科書には「インターネット時代の夜明け」などという活字が踊っています。
でも、それを読む子供達はきっとこういうでしょう。
「へえー、この時代の人ってこんな不便な使い方をしていたんだ。」
え?その時に教科書なんかまだ存在するのか?
あ、きっとこの授業は古代史だったからではないでしょうかね?
と書いてはみたが、あまりいい落ちではないなと反省しきりの、安部邦雄