昨日の話を誤解されている方もおられるかもしれない。
私の主張が、「みんなやっているんだから、やってどこが悪い」ととられた方もいるのでは。
でも、違うんですよね。
私が問題にしたいのはそういう論理の構造なのです。
それと、これもよく聞かれる言葉なのですが、「みんなやっている」という言い訳に対して、「あんたの言うみんなって誰やねん。」という反論があります。
そう「みんな」って誰なんですか?
政治の討論でもよく聞かれます。
「外務大臣、あんたは嘘つきだ。」
「どうして私が嘘つきなんです?」
「だって、みんな言っているではないか。」
「お前が犯人だ、そうだろう。」
「違います。どうして私が、、、』
「みんなお前が犯人だと言っているんだ。観念しろ。」
「安部君、君の仕事の態度はよくないという評判だ。」
「ど、どうしてですか。私は精一杯やっています。」
「君はそう思っているかもしれないが、みんな君をいいように言わないよ。」
みんなって誰やねん!?
さて話を戻します。
みんなやっているからやってもいいとはなりません。
第一に、「みんな」が定義されていません。
これを全員やっている解釈すると、誰がそれを訴追できましょう。
よって「みんな=全員」という意味ではないことは明らかです。
暗黙の了解で、表向きは問題ありと結論づけられるが、実際にはやってもやむを得ないこと。
高速道路で制限速度を越えていても、流れに乗っていればスピードオーバーとして責任をとわれないなんてのは実例ですね。
杓子定規に規則をあてはめてはいけないということです。
同じことをやっても、許される場合もあれば許されない場合もある。
要は、場の空気を読む、ということですね。(この表現も前に出てきたけど)
場の空気を読めなければ、下手するとオオゴトになるのです。
雪印食品の偉いさん、本来誰でも(全員という意味ではない)これぐらいのことはやっていたんです。
輸入牛を国産牛と書き換えたり、和牛と国産牛をまぜたり、普通の豚を鹿児島黒豚と書き換えたり。
もちろん、これらはやってはいけないことです。
しかし、見つからなければ、その担当者は全社的にはよくやったになるのです。
会社が追求すべきことは「利潤」なのです。
「倫理」ではありません。
売上を上げたものが正義なのです。
「白猫であれ、黒猫であれ、ネズミをとる猫はよい猫だ。」という中国の名言もあります。
ネズミをとらないと始まらないのです。
だから、スピード違反を摘発するのも、ネズミ捕りという。
???
場を読めなかった雪印の偉いさん。
つまり、酪農業者や肉販売業者、焼肉店などが死ぬほど苦しんでいるにもかかわらず、自分達だけ本来もらえるはずのない国の補助金をもらって利益を得ようとしたこと。
そりゃ、心ある人に告発されても自業自得ですわね。
ま、今日もこれぐらいにさせてもらいます。
これから高校時代の東京支部同窓会に行ってきます。
30年ぶりの再会です。
でも、みんなあんたを嘘つきだと言っているよ、なんて言われたらやっぱりショックで立ち直れないだろうな、安部邦雄
鈴木宗男さんの胸中や如何に?