保阪正康「晩年の研究」という本を読んでいる。
50を過ぎて晩年をどう生きるかを考えるようになった私だ。
その中でとりあげられている人の言葉に少し惹かれたので書いてみる。
「思想はしばしば他人を救うふりをして、その実、自分の免罪を求めている」
うーん、そう言えばそうかな・・・。
権力者がふりかざす思想というのは、ひょっとしたらそうかもしれない。
適切な例かどうかは横に置いて、スターリンなんてその典型ではなかろうか。
共産主義(社会主義)という思想は、スターリンにとって、自分の立場を補強する為の見事な口実に使われていたと言えなくもない。
思想とは、支配者が人民を支配する為の免罪符である、先ほどの引用はそう言っているのかもしれない。
とはいえ、思想が常に免罪符であるわけではない。
被支配者、すなわち弱者が持つ思想というのは、むしろ今の逆境を克服する為の希望の手段であったりする。
他人を救う為の思想は、しばしば利己的な利益を得ようとするもの。
しかし、自分を救う思想と言うのは、自分が幸せになることによって、自分のまわりを幸せにする思想でもあると私は思う。
前者は、偽善と言ってもいい。
後者は、喜捨の精神であろう。
前者の典型。
レコード協会などが語る音楽文化の衰退。
PCなどにコピーすることによって、著作権者が本来得られる利益が失われ、音楽の再生産につながらなくなる。
よって、音楽文化が衰退する。
それでもいいのか、音楽ファンの皆様。
こんなの、言葉通りには絶対受け取れない。
自分が今まで利益を得て来た構造が崩壊しかねないから、反対しているにすぎない。
音楽文化云々なんか、レコード協会関係者に語る資格等ない。
日本の音楽業界は、必ずしも音楽著作権者に対して、正当な報酬を払って来たとは言いがたい。
著作隣接権者なんか、音楽文化の発展にどれだけ寄与したと言うのだろうか。
他人(本来の著作権者)が作ったものを、勝手に権利を細分化して分け前にあずかっただけではないのか。
ある掲示板にこんな投稿があった。
著作権が守られないと、音楽文化が衰退するのなら、全く著作権が守られなかった時代に、何故音楽文化が花開いたのか?
その通り、モーツァルトの煌めくような作品を見よ!
一体、モーツァルトは生きている間に、著作権料を少しでももらったことがあるのか!
「思想とか信条とかを、とくとくと述べる者は信用出来ない」
これも先述の書に書かれていた。
何か、下手すると私にも返ってきそうな主張である。
きれいごとばかり言う相手には、油断してはいけないということだろう。
近ごろのワイドショーなんて、報道(ジャーナリズム)という免罪符をおしたてながら、おためごかしに自己利益を追求しているだけではないか。
国民に釈明する義務があるだなんて、よくも言ってくれるものだ。
自分にとって損だと思えば、全力で自己の被害を主張し、得だと思えば、静かにじっとして何も言わない、それが処世術のイロハだそうです、安部邦雄