朝のワイドショーにあまりテレビで見たことがない、風水師が出ていた。
まだ30代か40代に入ったぐらいの人。
話し方が理知的でとても好感がもてた。
この人、最高だなと思ったのは次の部分。
「私はテレビ局から出演料をもらって、皆さんに風水を語っています。ただで、風水の話を聞くぐらいの人は、本来風水なんて気にしなくてもいいのです。」
つまり、風水というのは、何かとんでもなくテンションが上がることをなさっている人しか関係がないんだとか。
芸能人の方とか、会社の社長さんとか、これから大きなことをしようという方は大いに意識すべきだという。
いいなあ、と思った。
私の仕事はどうなるとか、病気がちなのは風水でいうところの悪相があるのかとか、そんなこと普通に生きているだけの人が気にする必要はないと、この先生は決めつけていた。
鬼門に赤いものを置けとか、今年の色は紫だとか、そんなこと気にして、あんたは何をしたいんだと言わんばかりだった。
視聴者の質問にも、「ま、気にされるなら、ここにある木でも植え替えたらどうですか?」などと適当な答え。
そうだなあ、と思った。
占いとか風水とか、結局為政者が自分達の生存がかかっているから、そのご託宣を聞いたのだ。
諸葛孔明も、結局切羽詰まった中で、占いを行ったのである。
つまり、そういう治世の大義とか、戦略の曲実を語る時に占いとか風水が大事なのであって、家族が幸せになるかどうかとか、幸せな結婚ができるかどうかなど、本来知ったことではないのである。
国の首都をどこに置くかという問題意識と、自分達がどんな家に住むのかなどという意識が、同じレベルで語られるわけなかろう。
占いにしても、風水にしても、結局金もうけの手段にしているにすぎないのだ。
本当の風水師は、本当に必要な人以外を相手にすることはない、彼はそう言っていたような気がする。
何度も、風水は皆さんのような芸能人には必要だと思いますよ、でも、普通にこのテレビを見ている人はあまり気にする必要もないというのが本心ですね、と繰り返していたのが印象的だった。
テレビ局から出演料もらって、風水を語る奴なんか信用するな、彼がそういうニュアンスを語る度にスタジオはシーンとしていた。
ひょっとしたらこの先生、二度とテレビには呼ばれないかもしれない。
でも、私にはとても好ましい印象を与えたのは事実だ。
私は占いとか、風水とか、実はとても評価している一人だ。
理由は簡単。
それは、中国4000年の歴史が育んだ叡智であり、その長い間に衰退することもなく、生き続けていたからである。
これは頭で判断してはいけないことだ。
例えば、今、フグと言う魚が、胆とか卵巣とか言う部分さえ食べなければ、決して中毒にはならないというのは誰でも知っていることだ。
ということは、その叡智に辿り着くまで、どれだけの人間がその犠牲になってきたかがわかるはずだろう。
これは、他の食べ物も同じ。
食べたら死ぬ草やキノコなどの植物もあるし、人間の病を治す薬草もある。
そんなの頭だけではとてもわからない。
長い時間と、おびただしい犠牲の上に、その結論があるのである。
易や占いも同じだ。
それは人類が長い時間と犠牲の上に作った叡智なのである。
時代に合わなくなる部分もあるので、教条的にこれを信じるのはよくないが、世迷いごととして全否定する輩は、何でも自分の頭だけで判断できると思っている増長者である。
人間の脳は、長い時間のあいだに育まれた叡智には勝てない。
ダムを作れば、水害がなくなる。
海を埋め立てれば、農地もでき、洪水も防げる。
脳が作ったそういう幻想は、今や自然から大きなしっぺ返しを食らいはじめている。
地球の歴史も宇宙の歴史も、私達の脳ではとらえようがない。
我々の考え等、単なる思いつきでしかない。
それはキリスト教やユダヤ教やイスラム教においても同じだ。
そんな思いつきの為に、人々は殺しあっている。
風水もまた、そんな思いつきのひとつかもしれないな、と、軽く結論をつけてみる、私だった。
100年河清を待つという諺を、不可能なことを何の知恵もなく待っているみたいに言われているが、ひょっとしたら、それぐらい長いスパンで物事を見るのも必要と言う意味なのかもしれないと思わないでもない、安部邦雄