ラジオ・プロデューサーとして、どんな番組を作りたいかと聞かれたら、私はきっと答えるだろう。
ラジオがとっても好きだという人たちに、「いい番組だね。毎回聞くよ」と言われる番組ですね。
で、この考え方と、この欄をどういう文章で埋めたいかというのと同じなのだということに気が付いた。
この欄をどれだけの人が読んでおられるのかは知らない。
でも、きっとそういう人たちは、インターネットが好きであり、きっとこういう一人の人間が日々発するリアルタイムの意見を読むのが好きな人だろう。
毎日、何とか更新を続けているのと、毎日ラジオ番組を作り続けていたのと同じことではないか、そんな気がして来た。
番組を作り続けるというのは、それは義務だった。
録音番組は、どんなことがあっても放送時間までには技術担当にテープを渡さなければならない。
どれだけ遅くとも、放送時間の5分前には送信システムにセットしないといけない、それもレギュラーで。
何回もいうようだが、私は群を抜いて担当番組が多かった。
常に番組に飢えていたのだ。
どこかの放送枠が空きそうだったら、こんな番組やりたいんですが、と上司に企画書を持って行っていた。
営業にも、こんな企画が採用されるようなスポンサーないですかね、としょっちゅう聞きに行っていた。
でも、その企画が通ると、途端に自分の首がしまった。
毎日、毎週、〆切りがやってくる。
しかも、私はサラリーマン。
番組が多いからと言って、収入等増えることはない。
ただし、どうしても番組数が増えると残業が増え、残業手当も半端じゃなくなってきてはいた。
そうすると陰で総務が、あいつの年収が1000万を越えている。
これは不公平だ。だいたい、あいつは普段は遊んでいるじゃないか。
仕事の中味は関係ない。
自分より収入が多いのは許せない。しかもディレクターだと、業界人からチヤホヤされているだけのくせに。
裏でリベートもらっている可能性だってある。
白い目で見られながら、私は働いた。
私は、結局リスナーと、それも自分の世界が分かってくれるリスナーとの接点を持ちたかったのだ。
だから、番組をできるだけ多く作りたかった。
多くの人に、「あの番組、とても面白いね。ずっとやってね。」、いつもそう言われたかった。
でも、毎回毎回、そんなに満足のいく番組等できるわけない。
いつも、一抹の悔恨とともにテープを送り出していた。
その時の後悔なのか、自分で番組をディレクトしなくなって10年以上も立つのに、今だに何度も番組制作に失敗した夢を見る。
生放送の失敗もいやになるほど夢に見ている。
一体、このての夢、何歳ぐらいまで見続けるものなのだろうか?
ひょっとしたら、死ぬ間際までかもしれない。
因果な商売を選んだものだ。
いいラジオ番組って、必ずどこかに共感するものがある。
共通する感性を刺激しあう瞬間がある。
で、楽しみなのが、NHKのラジオ深夜便であったり、土曜日の毎月最終週、大阪制作の「土曜ほっとタイム」であったりする。
何度も書くが、「中澤裕子のオールナイトニッポン」も何故か好きだ。
リスナーの家に行って、肉じゃがを作って食べさせるなんて企画、誰が考えるのかと思ってしまう。
とにかくスタッフがいいのだ。
中澤裕子の言葉の端々に、質のいいスタッフの意志が感じられる。
ラジオは共同作業なのだ。
スタッフがよければ、自然と番組は面白くなる。
いいスタッフは自分達が楽しくない番組はできるなら作りたくないと思っている。
その気持ちが、良質なリスナーの心に絶対に届くのだ。
これは、私が絶対的に信じているラジオの真実だ。
この欄も、同じだ。
こうやって私が書き続けることによって、それがいつか良質なインターネット・ユーザーに届くはずだ。
それは、まだ完全な信仰にまで至ってはいないが、そんな気がしながら、毎日この欄を書いている。
惜しむらくは、スタッフ的には、やや恵まれていないかも。
ということで、今日も更新を何とか終えることができた。
私はまだまだ新米のインターネット・ディレクターというわけである。
どうか、末永くご指導ご鞭撻のほどを・・・。
そろそろ、この欄も1年ぐらいたつのかな?最初に書きはじめたころのことなんか、ずっと昔のように思えて、頭の中は混乱中、安部邦雄