未来を語る時に、心しないといけないこと。
確かに、未来は現在の延長である。
しかし、今の意識の延長では必ずしもない。
突然変異のように新しいものが飛び出す可能性はほとんどない。
宇宙人が本当に存在して、我々の知らない技術をいきなり普及させでもしない限り。
しかし、その未来というのは、我々の意識の延長に描けるものでは必ずしもないのである。
携帯電話が、メル友という全く次元の違う概念を作り出すとは誰も思わなかったはずだ。
電車の中で、ずっと携帯電話を見つめている人がいるなんて、昔の人が見たら不思議がるはずだ。
でも、おかげで電車の中で音楽を聞く迷惑野郎は確実に減った。
つまり、電車の中のヒマに耐えられなかっただけなのだ。
オルタナティブができれば、そちらにうつる。
未来への変化のきっかけの1つがオルタナティブの存在なのかもしれない。
パソコンは何のオルタナティブかと聞いたら、やっぱり算盤ですかね?などという奴がいた。
算盤のオルタナティブは電卓である。あほか。
パソコンは、ある意味ではオフコンのオルタナティブである。
しかも、こちらの方が汎用性に優れ、値段も安く、インターネットによって、外部との情報交換も可能だ。
パソコンはデータベースとしても利用価値がある。
その為の簡易ソフトも便利なものも多い。
昔は、大百科事典がなければ不自由したことも多い。
今は、そんな本棚を埋め尽くすような辞典等必要はない。
パソコンを使って、ネットの中から探せば大抵のものは見つかる。
問題はそこに書いてある情報が正しいかどうかだ。
それぐらい、自分で検証しないといけない。
掲示板などで、不確かな情報を、何の検証もなく正しい情報として流布する輩も多い。
噂とかデマというのは、通常このプロセスを経て伝わって行くのだが、ネットの中でそれが具体的に見えるので、社会心理学的にはネット掲示板は極めて興味深い対象のはずである。
誰か、考察している人、いるのかな?
情報が、別の人のバイアスによって、どういう風にねじ曲がるかがよくわかるはずだ。
研究者にとっては、宝の山だと思うけどなあ。
さて、話を戻す。
10年後の社会はどうなっているのと思いますか?
こう聞かれると、本当に難しい。
私だって、今の私と同じである自信はない。
社会が大幅に変わるなら、自分も大幅に変わるはずだ。
なら、今の自分を基準にして、未来を予測しても、未来の自分は全くその基準に対応していないのだから、そこで予測したものが当たる可能性などそれほどあるとは思えない。
よく、「ほら、私の予言したとおりだろう。」なんていう奴(本当の予言者は別ですよ)も多いが、短いスパンならそう言えても、長いスパンなら当たっていてもまぐれ当たりである。
大体今年のセリーグの優勝チームすら容易にあたらないのに、何故10年先が予言できるのだ。
1週間後の天気すら当てられないのに、10年後がわかるわけないだろう。
未来の話になったら、何故みんなそんなに大雑把なの?
まず、明日どうなるかを考えろよ。
未来はその後だ。
10年後は景気回復しているから安心しろ、なんて言っても誰も安心しない。
それまでのプロセスを教えろよ。
悪いが、未来へのプロセスは人間じゃ読めないだろう。
将棋を考えてごらん。
一体、あんたは何手先まで読める?
未来はその読み筋より、簡単か?
ま、いいや。
これ以上言ったら、夢も希望もなくなるからね。
と書いていると、又日が変わりそう。
未来の話はとりあえずこれで終わり。
運命というのはあるのかないのか、これも証明する義務さえなければ、やっぱりあると言いたいですね、そうでないと人間、不安定で生きてられないのでは、安部邦雄