テレビは受け身的メディアであると昨日紹介した。
これは、テレビ論でもよく語られていることだ。
ソファに転がって、自分が楽しく見られそうな番組を追いかけているだけで、一日が過ぎて行く。
ほとんど苦労はいらない。
ややこしそうな話は、必ず誰かがやさしく説明してくれる。
少々、間違っていてもたいていの視聴者は何も言わない。
時々、それを生業にしている人が文句を言って来たりする。
私の実家は質屋だったが、テレビで質屋が出てくる度に親父は、俳優の動きや商売のやり方にダメ出しをしていた。
あれは、質屋のことを本当に分かってないやつが、作ったんや、何度もそんなツッコミを入れていた。
ある寿司屋さんが、コマーシャルを見ながら文句を言っていた。
「ハマグリを焼くと、たいてい身は上の方にくっついて開く。このCMの身は下にくっついている。ハマグリのことを何もわかっていない。」
そうかもしれないけど、上にくっついたんじゃ、見栄えが悪いじゃん、と心の中で呟く私。
テレビって、真実を伝えるのがメインではない。
皆のイメージを損なわないように、少々の嘘を交えつつ、シンプルに構成しているわけだ。
1つ1つの画面に、一々ストレスを感じるような作り方をしていたら、受け身の視聴者は苦痛なだけだ。
テレビは曖昧なものをそのままオンエアした場合、たいてい視聴者から強い拒否を受けるだろう。
言いたいことは何?
もっと、はっきりと説明しろ!
野球の中継見ていたら、よくわかる。
一々ボールの球種を、解説者が説明している。
本当は、どうでもいいことなんだろうが、それを適格に説明しないと、視聴者から文句が出てくる、とでも思っているのだろう。(素人目にも、説明が間違っているような時もままあるのだが)
アナウンサーはこう思うのだろう。
この画面をごらんになって、きっと皆さんはこういう疑問をお持ちになるでしょう。
で、その答えは、おそらくこうです、ね、解説の何とかさん。
画面を受け身で見ている人だと、おそらく「あれ?」と思われるようなことが次々と出てくるだろう。
それを、適格に察知して、何らかの解答を示すのがテレビの役目だ。
少々間違っていてもかまわない。
正しいことを言えば、視聴者の頭の中が混乱するだけだ。
ならば、思いきりシンプルに、誰でもが納得できるような答えを示しておこう。
ついでにテロップも流しておこう。
それの方が、より強く訴えるものがあるだろう。
近頃のテレビ、ますますこのシンプル・オリエンテッドが激しいような気がする。
ワイドショーの作り方なんか典型的だ。
悪者と善者の区別をはっきりさせる。
悪者は徹底的に叩く。少々の捏造も許容の範囲。
ただし、自分で捏造するのではなく、週刊誌とか事情通とかが捏造したことを引用する形をとる。
悪者は悪者らしく見えないと、視聴者は混乱するだろう。混乱すると、次からは見てもらえない。
視聴率をとれる番組というのは、見る方がほとんど混乱することなく、シンプルに楽しめる番組なのである。
善者はあくまで善者に見えないといけない。
皇室なんてのは、まさにその代表格。
皇室の真実なんて、絶対に放送しない。
同じ人間なんだから、色々と内部の葛藤はあるはずだが、そんなことは決して伝えることはない。
政治の世界が、今ちょっとした混乱状況にある。
小泉首相は、ついこの間まで、善者の典型だった。
それを強調するエピソードが次々と発掘され、視聴者はそれを嬉しそうに見ていた。
真紀子さんを更迭するまでは。
真紀子さんもそう。
この間までは、平成のジャンヌ・ダルクのような扱いだった。
しかし、ある連中らが言いはじめた。
「あいつは、本当は嘘つきだ。」
またここにも混乱が生まれた。
ジャンヌ・ダルクは下手すると火あぶりになりかねない。
ただ真紀子さん、さすがに年の功。
簡単にジャンヌの二の舞いにはならない。
むしろ、火あぶりになりかけているのは、辻元清美さんかも。(ジャンヌほどのカリスマ性はないが)
嘘でもかまわん、視聴者が納得できるような画面作りを。
これが今のテレビの作り方だ。
行きつく先は、お子さまランチのような、甘い口当たりのよい番組作りになる。
同じ映像の繰り返し、センセーショナルな演出、その映像を見た人が持つ感情を先回りしてテロップにして出す。
「この後、思いがけない展開が・・・」
マインド・コントロールに近いこれらの手法。
「はい、この画面を見て下さい?ほうら?貴方は段々眠くなる?」
受け身の視聴者は、テレビ局の掌で面白いほど踊ってくれる。
視聴率4冠などというテレビ局は、ある意味、マインド・コントロールの達人というべきか。
しかし、どの局だって、考えていることは同じ。
ただ、達人かそうでないか、という違いだ。
新宿の母か、名もない街角の易者の違いとも言える。
そう言えば、占いの世界も、やはりシンプルな言葉であなたの今の状況を説明してくれる人の方が、何となく信じてしまうような気がするなあ。
シンプルか、そうでないか、この視点、まだまだ追求して行くことがありそうで、私としてはとても面白い。
ただ、私はテレビではない。
読む人が面白いかどうか、申し訳ないが最近はあまり気にしていない。
そのかわり、視聴率はものすごーく、低いはず。
痛し痒しのキンカンコン・・・。
明日早朝から鹿児島に行く為、30日は更新ができません、代わりに家来の誰かが何か書いてくれるはず、ネットカフェでも見つけられれば書き込むかもしれないけど、安部邦雄