自信があって言っているわけではないのですが、考えれば考える程、インターネットに望んでいるのはリアルタイムではないかと思えるのです。
例えば、あるサイトを毎日覗きに行くのは、そのサイトのリアルタイムな情報を取りに行きたいと思うからです。
私が毎日見に行く「ほぼ日刊イトイ新聞」なんかで、一番シンパシーを感じるのは、毎日情報を発信しているコンテンツです。
糸井重里氏が毎日書く「今日のダーリン」とか鳥越俊太郎氏の「あのくさこればい」なんかがそれですね。
ここにはリアルタイムなメッセージがあるのです。
しかもそのメッセージがそんじょそこらにあるような内容ではない。
そこには今刻々と移り変わるリアルタイムな世界があるのです。
今までは、そういうメッセージを受け取る時に、どうしてもタイムラグが存在しました。
テレビやラジオの生放送が直感的に好ましいと思うのは、同一時間の共有が認識できるからです。
そこにはタイムラグがない。
余計なことを考える必要がない。(つまりシンプルということ)
そのかわり、生放送は大変危ういものがあります。
何が起きるかわからない、その起きたことに対する責任は発信者が一方的に負わねばならないのです。
これは私が実際に生放送にかかわっていた時にもよく思いました。
で、いきおい、自粛してしまい、毒にも薬にもならないような表向きな言葉だけで進行したことがあります。
残念ながら、そういう番組はほとんどファンがつきませんでした。
固定的なファンがついたなあと思った番組は、例外なく、建前上の言葉を排した番組でした。
つまり本音で勝負という番組です。
おかげで、リスナーからの抗議はありましたし、上司からも何回となく警告を受けました。
そういう痛みを我慢した時に初めて番組のファンがつきました。
インターネットにおいても、程度の差はあれ、こういった誹謗中傷にさらされる覚悟を持たない限り、客はサイトにやってこないと私は思っています。
さてネットをメディアとして、自分のメッセージを流そうとする時に重要なのは、リアルタイムということだというのが私の論旨です。
更新しないサイトに対して、たいていの客は失望するでしょう。
少しでもいい、リアルタイムな情報を得たい、訪れる人はそう思っているはずです。
このサイトは、その為に毎日更新を義務付けているわけです。
訪れてくれる人は少なくとも、毎日リアルタイムな情報を送り続ける限り、人はやってきてくれます。
チープ・メディアとしてのインターネットに、ゴージャスなデザインやコンテンツはいりません。
訪れる人は、サイトがシンプルであり、ライトであり、リアルタイムであれば好意的に受け止めてくれるはずです。
それと、データベースで勝負しているサイトにも言いたい。
データベースが重要なのは、コンピュータである以上当たり前なのですが、それ以上に重要なのは、そのデータベースがリアルタイムに更新されているかどうかです。
データベースとは日々進歩して行くものであり、追加や修正がリアルタイムにあって当然なのです。
ところが、一般的にデータベースはパーマネントのように思われがちなのが気になるのです。
大量に、人を動員してデータベースを構築するのも大事ですが、それよりも、リアルタイムな息吹きがそこに感じられるかどうかの方が大切なのではないでしょうか。
今日は、ちょっと長くなりました。この続きは又明日にしたいと思います。
君たちがいて、僕がいる、歌の文句通りの世界が、電子メールというメディアを通じて広範囲に広がっています、ここにもリアルタイムなコミュニケーションの世界が存在しているわけです、安部邦雄